「徒然草」仁和寺にある法師から読み取れる教訓 中学国語

中学古典で教科書によっては徒然草を学習します。
今日は徒然草の中の1つ、「仁和寺にある法師」の内容について解説します。

まずは、この話の概要を順に追ってみます。
➀仁和寺というお寺にいたある法師が、年を取るまで石清水八幡宮に参拝したことがないことを残念に思っていた。
➁あるとき思い立って一人で参詣に出かけた。
➂石清水八幡宮のふもとにある極楽寺や高良社を参拝し、石清水八幡宮はこれだけと思い帰った。(このとき、山の上に登って行く人が多いことを不思議に思ったが、法師は山の上までは見なかった。)
➃仁和寺に帰り、参詣したことを仲間に満足気に話した。
➄実は自分が参拝したのは石清水八幡宮ではなかった。(本当の石清水八幡宮は山の上にあった。)
➅岩清水八幡宮のことを何も知らない法師はそのことに気づかなかった。

ここから生まれる教訓
『ちょっとしたことであっても、そのことについて指導してくれる人(先達)がいてくれる方がよい。』

もしこの法師に対し、「石清水八幡宮はふもとではなく山の上にあるのですよ。」と教えてくれる人がいたり、一緒に行ってくれる案内役の人がいればこのような間違いはしなかったことでしょう。
現在の日常生活の中でも思い込みやちょっとした勘違いを起こすことがあります。
現在にも通じる教訓ですね。

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